名園の数々が残る越後の中でも柏崎・刈羽には独自の庭園文化があります。
柏崎・刈羽には1つの庭匠の流れのようなものが、明治初年から定着しているようです。
その基礎を築いた人物、松屋爺さんの愛称を持つ「相沢熊蔵」と、銀閣寺等の名園を修築した庭師「田中泰阿弥」が知られています。
田中泰阿弥のお爺さんくらいに当たる世代で刈羽柏崎の庭師の祖といわれた「相沢熊蔵」元は江戸の庭師。
徳川家や大名家に出入りした庭師だったといわれています。
明治維新によって社会情勢が一変し流浪の旅に出、前橋から松本を経て、落ち着いた地が柏崎だったといわれています。
柏崎では、「松屋の爺さん」の下で庭づくりを学ぶ者が多くなり、また教えることがうまかったため、お弟子さんがたくさん育ったようです。
田中泰阿弥は京都の田中家に養子に入るまでは笠原という姓でした。
8人兄弟の長兄が笠原米作といい、その長兄が相沢熊蔵の最晩年のお弟子さんだったそうです。
泰阿弥は幼名を泰治といい、小学生の頃から長兄の仕事を手伝っていたようです。
尋常小学校卒業後に東京の植木屋へ奉公に出て、そして兵役を終えた後に京都へ本格的な庭師修行に励みます。 20歳のとき兄・米作の添え書きを持って京都の庭師・中村満次郎もとへ弟子入りしました。 修行のときが過ぎ、やがて渡り植木職人として転々とし、最後に「植治」こと小川治兵衛のもとに身をよせます。 その間、長安院住職・多田宗夢に師事して茶道のけいこをしていたのが縁で、田中千代の養子となり、田中泰治となりました。1929年(昭和4年)銀閣寺で行われた茶道のけいこに加わっていた折、銀閣寺「洗月泉の滝の石組」を発見、その後「相君泉の石組」を発見します。
古い歴史を持つ庭園の修復、とりわけ夢想国師の作庭になる京都天龍寺、鎌倉瑞泉寺の庭園修復の機会を得たことはその後の作庭に大きな影響を受けたと思われます。
◇古庭園マップ
庭園名 | 所在地 | 作庭年代 | 庭園様式 | 作庭 |
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貞観園 | 柏崎市高柳町 | 江戸中期 | 池泉回遊式 | |
龍雲寺 | 柏崎市黒滝 | 江戸中期 | 座観式 | |
静雅園 | 柏崎市女谷 | 江戸後期 | 座観式 | |
野沢家庭園 | 柏崎市宮之窪 | 江戸後期 | 池泉回遊式 | |
松雲山荘 | 柏崎市緑町 | 大正 | 池泉回遊式 | 蓮池周作・軍一郎 |
豊耀園 | 柏崎市与板 | 昭和42年 | 池泉回遊式 | 田中泰阿弥 |
加藤邸 | 柏崎市加納 | 明治初期 | 池泉回遊式 | 相沢熊蔵 |
刈羽村老人福祉センター | 刈羽村 | 明治 | 池泉回遊式 | 相沢熊蔵 |
※池泉回遊式 池の中に泉池、滝、細流などをつくり水景を楽しむもの、舟遊式、観賞式あり。 ※座観式 庭園を観賞するに庭上に出ないで室内から全景を見渡せるものをいう。 |